空しいチャネル

湯川氏の新著「ブログがジャーナリズムを変える」の書評が出ている。

冒頭に「いただきものなので宣伝。」と書かれているので、それを前提として。

第3部はブログ界隈で関心を呼ぶかもしれない。題して「ネットにやられてたまるか」。

おお。スポンタ氏の案はここで採用されたようだ。それはともかく。

ご自身のものを含む記者ブログ炎上の話が出てくるが、それでも対話のチャネルを持つことが重要との主張は堅持されている

(強調は私)
山口氏は現状の「ネットは新聞を殺すのかblog」の荒廃ぶりをご覧になっていないのだろう。本にはきっとその旨の主張があるのであろうし、それを読んでの書評であろう。書評の問題ではない。
実際に見てみれば、「最新のコメント」リストにずらりと海外かららしきスパムコメントが並んでいるだけでも不穏な空気は感じられる。とりあえず「中間報告」と「泉さんのエントリーを削除した件について」の二つのエントリのコメント欄を眺めれば、そこに対話があるか分かるだろう。それでもコメント欄が開いているのだから、それが「対話のチャネルを持つこと」であるというなら、それは否定しない。が、空しい。あっという間に閉じてしまった人よりマシというだけでしかない。
しかし、まさかあれを反面教師として対話の重要性を説くわけでもなかろうにと思う。あの荒廃を招いた最後の理由は、湯川氏が対話することをやめてしまったことであるのに。

【追記】
もしかしたら、山口氏はあの荒廃を先刻ご承知で評されているのかもしれない。

ブログでもだいぶ叩かれたりしているが、既存マスメディアに対して不満やら怒りやらを持っていて、本気で状況を変えたいと考えている人なら、せっかく歩み寄ってきている湯川さんのような方は、むしろ「味方」にすべきと私は思うんだが。

「ブログでもだいぶ叩かれたり」というのが、この件であるかどうかだが。