FACTAの鳥越編集長インタビュー完結

FACTAの鳥越編集長インタビューが完結した。エントリリストを挙げておく。


まず自分の意見から述べておくと、オーマイニュース実名主義をとること自体は全然かまわないと思っている。コメント欄から会員登録必須というのは既にJANJANもやっていることであるし、一報道機関のポリシーとしてそうですと言われたら、文句などあろうはずもない。2ちゃんやブログに対して妙に攻撃的なのは「大人として」どうかとは思うが、まあそれも個人の主義主張である。だから、正直、彼の実名論というのにもさほどの興味がわかないのである。

ただ気になったことはいくつかある。まとまらないのでバラバラ書く。


そもそもあの程度のコメント数で「炎上」とあちこちで言うのはあまりみっとものいいものじゃないなと思う。一番コメント数が多かった物で130。その次が92。後は50〜60が数日である。規模で言うとGripBlogのそれより少し小さいくらいである。先日のボクシングでとばっちりを受けた上村愛子選手のブログなど、今見たら2271とかになっている。平時でも100超えてる。すごいんだな。
両方とも個人サイトであることを考えれば、たかだかあの程度で言論機関が「炎上」と言ってしまうのは耐性が無いだけにしか見えない。そういえばTBSは数万件の抗議電話を受けたそうだが、電話受ける方が人的労力などを考えると大変だろうと思う。でもTBSの誰も抗議電話をかけてくることについて、少なくとも表向き文句を言ったりはしない。あっちこっちで「炎上でしたね」「ええそうなんです」なんて会話をするのが、みっともないことだという意識は無いのだろうか。


アメリカのニュース番組でモザイクや声にエフェクトをかけたものは確かに少ない。これは60ミニッツなどを見ていても感じることだ。ただ、皆無というわけでもない。それよりも、これは記者ではなくて取材源である。記者にせよ、コメント投稿者にせよ、およそ自分の意見を述べようとする者に実名公表の責を課すというのはわからなくもないが、取材源にまでそうせよというわけではあるまい。
どうして日本のテレビの取材VTRにモザイク処理が多いのか、新聞や雑誌に「事情通」だの「関係者」だののコメントがさもそれらしく載るのか、その理由も事情も鳥越編集長はよくご存知だと思うのだが、それって「責任ある参加」で解決できる問題ですか?あそこにある問題はむしろ、そういう形でしか証言できない社会にあるか、あるいは怪しげな情報をろくな検証もせずに垂れ流す側にあると思うのだが、そっちに向いて彼が何か言ったことはあるのだろうか?あるいはそれをオーマイニュースでやるのだろうか?


私が物心ついた時は冷戦構造自体はまだしっかりとあった。ドイツが統一したり、ソ連が崩壊するなんて夢にも思っていなかった。冷戦というのは要するに「いつ全面核戦争が起きるかわからない」という状態だと言われて育った。防衛費予算がGNP1%超えるか超えないかで延々と議論していた時代だ。新聞テレビがずっと主張していたのは、どの線も一つ越えれば戦争への道につながるということだった。
だから、なんとなく冷戦が終わったと分かった時にはほっとした。もちろんそれだけで万事解決にはほど遠いことも分かる歳になっていたけれど。

日本人というか人間が、表現はしないけど非常に強く心の中に思っているネガティブなものはあります。例えば差別。人前では言わない。しかし、心の中に持っている。こういうものが実際に表に出てきたときは何かと、過去の歴史をひもといてみたら、すべて戦争ですよ。だから、そういうものを表に出して煽ることは、お互いのためによくない。

それから10年以上がたって、こういう論調を見るとこれは懐かしいと言ってよいのやら、正直まだそんなこと言っているのかとうんざりする。まだ戦争を持ち出して煽るのかと。差別が悪いには決まっているが、それを主張するのに何故わざわざ戦争の危険を訴える必要があるのか、全く理解できない。

中国や韓国、日本には、反日や反中や反韓の感情があることは事実ですが、それをメディアが取り上げて拡大することによって、何が起きるか。戦争ですよ。過去の人間が犯してきた、おそらく何千年前から犯してきた歴史を見ても、必ず宗教と人種の差別に基づく憎悪や蔑み、人間の持つネガティブな暗い感情が行動となってあらわれる、それが戦争ですよ。

本心からそう思っているのなら、韓国の本家オーマイニュースの論調をどう思うのか語らなければ説得力も何もないだろう。少なくとも日本の主要なメディアがこういう意味での低レベルに落ち込んでいないことは誇るべきだとは思うが、逆にいうとそれは特に日本版オーマイニュースの売りにはならないし、今日本で戦争まで持ち出して警告するレベルにあるとは思えない。
残るのは、戦争になるぞと言って脅すのも戦争をするぞと言って煽るのと大して違いが無いよなという嫌悪感だけである。


そして最後に阿部編集長は多分これを一番聞きたかったのではないかと思うし、自分にとっても一番興味のあることだった。

阿部 僕が雑誌を創刊したのは、なによりもまずニュース、つまりスクープを売る雑誌をつくりたいということでした。スクープは内部告発を除けば、プロフェッショナルな記者でないと取れない。「オーマイニュース」のように、ライターを市民から募ったら、内部告発以外にどうやってスクープを取るのでしょうか。そこが不思議でなりません。最後はメディアの本質は、どういうコンテンツをつくるのかの問題だと思います。

しかし、その答えは結局無いのだった。今さら「21世紀メディアの可能性は双方向性にある」と言われても、それこそそこにニュース性など全く無いのだ。そういうの前世紀末にだいぶ聞きましたよ。キャプテンシステムとか。


なんか疲れた。