ポリシー


どうも、その、直感的にというか肌身にしみてというか分からないものがあって、自分のことをこれはある種の馬鹿なんじゃないかと思うのだが。


日教組…に限らないんじゃないかと思うのだが…教条主義ガチガチの教師に理不尽としかいいようのない教育を受けたみたいな体験談が世間的にはけっこう転がっている。しかし自分にはそういう経験が無い。個人として頭の固い教師はいた。腹もたったというか、ああ相手が目上でも軽蔑してもいいんだということを教育してくれた人だが、教条主義というわけではなかった。日教組の地区の役員やってる人もいたが、こっちはむしろ頭が柔らかすぎるんじゃないかという人だった。


その人の縁で自分の学校の体育館で小さな集会を開くことになったのだが、どこで聞きつけたのか授業中に右翼の街宣車がやってきた。ところがこれがまたいい加減というかおざなりで、いちおう一声かけましたよという感じで日教組集会反対を叫ぶとあっさり帰ってしまう。私の前に座っていた女の子がやおら振り向いて、今のは何?と聞く。あれが右翼というもんだと答えると、あの人たちはあれが仕事なの?と言うので、まあそうかなと言うと、あれでどうやってお金を稼いでいるのと返される。なんというか仕事としての熱心さを感じられなかったんだろう。というか、授業中の私語にしては答えに詰まる話を振らないで欲しい。



大学の先生もアレだった。東大出身でモロに全共闘世代だったので、安田講堂の時はどうでしたかと聞いてみた。その少し前にパクられてて出てきたらもう封鎖されてて参加できないから、家でパクられてた間の新聞読んで、必死で情勢に追いつこうとしてたよ、だそうだ。ブル新に頼ってたんですかと冷やかすと、だって友達と話が合わなくなっちゃうからね。そもそも大学解体だなんて言ってたのに今じゃ大学教授だからね。まあ大学なんて社会不適合者のふきだまりみたいなもんさ…



まあそんな感じ。人は主義主張のために生きるに非ずというか、主義主張のために生きてる人を見たことないというか。いやきっとそういう人はいるんだろうけど、その人はどうやって飯食ってるんだろうということの方が気になる。こういう風に書くと“真面目な人”には不快な思いをさせるんだろうな。すみません。ほんとに。


なんでだろうな。プラグマティックと言えば聞こえはよいけれど、どこか抽象的なことを考える能力というものが欠如しているんだろうと思う。それはつまり、より動物に近いということである。だから、ほら、このグダグダな文章。


ああそうそう。多感な時期(笑)に読んだのが「竜馬がゆく」だったのがいけなかったのかもしれない。あの人、主義主張あんまり関係ないものね。全般的に司馬遼太郎の書く人物って、そういう人の方が圧倒的に多いし魅力的だから困る。うん。とりあえず司馬さんのせいにしておこう。今さらどうしようもないし。


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