スラップスティック
ジェームズ・ティプトリー・Jr.というSF作家がいた。プリンセス・プリンセスだったか、「たったひとつの冴えたやりかた」というタイトルに聞き覚えのある方も多いと思う。
私はカタカナの名前から性別を判定するのに全く自信が無いが、ジェームズが男性名であること、Jr.は普通男性につけることが多いくらいは分かる。だが、この人は女性である。
デビュー当時、ティプトリーは当然のように男性作家だと思われた。「汝が半数染色体の心」のような性を扱った作品が多かったこともあり、70年代のウーマン・リブやフェミニズムやジェンダー論争といった文脈で話題になることも多かった。本人は眩暈がしたことだろうと思うが、「もっとも男性らしいSF作家」などと称されたという。そもそもそんな称号が出てくること自体、私には理解できない。時代のせいか、アメリカのマッチョ魂のためか。
ル・グィンの「闇の左手」やアン・マキャフリイが活躍していた時代でもある。シオドア・スタージョンは「ティプトリーを除けば、最近マシなSF作家はみな女性ばかりだ」という歴史的な失言をする始末。ティプトリーが女性だと判明した時には盛大にずっこけたであろう。
彼女は、幼少期をインドやアフリカで、ターザンに出てくる探検家の娘のようにして育った。若い時は設立間もないCIAに所属し、偵察写真の解析やフルシチョフの尿を手に入れる作戦などに携わったそうだ。この辺りコードウェイナー・スミスのことを思い出すが、今はいい。
50歳を過ぎて作品が売れてSF作家になった。心理学の博士号取得のかたわら書いたものを衝動的に出版社に送ったら、全て採用されたのだ。「落ち込んでいる時期だったから、書いたのは全部スラップスティック・コメディだった。」と語っている。言葉通り、この時の作品はとても愉しいものばかりだ。「故郷から10000光年」に収録されている。
最期は老人性痴呆症の悪化した夫を射殺し、自分の頭も撃ち抜いて一生を終えた。夫婦のどちらかがそういう状態に陥ったとき、もう一人がそのように“けりをつける”ことは既に約束済みのことだった。たったひとつの冴えたやりかた。
いろいろなことが重なって、彼女のことをふと思い出した。久しぶりに読んでみようか。