スラッシュドットの「カルマ」とは

以下は「ことのは騒動」における本質とはほとんどからまないだろうということをあらかじめお断りしておく。

泉あい氏が企画していた「Grip 報道メディア設立企画書」に「ユーザーカルマ」という単語が突如登場して波紋を広げた。この「カルマ」って何だ?ということをカルマ機能を先行して使用しているスラッシュドットを元におさえてみようということが、本エントリのテーマである。


スラッシュドットにおける「カルマ」とは何か、スラッシュドットのFAQに詳しい説明がある。要約すると次のようになる。

  • 登録ユーザー(ID)はカルマ0からスタートする。プラスあるいはマイナスに変動するが、上下ともに限界がある。
  • カルマは基本的に当人以外にはわからない。
  • 当人であっても数値で通知されるのではなく、いささか曖昧な言葉によってしか知ることはできない。
  • たとえば、カルマの上限に達している場合の表示は「たっぷり」である。
  • カルマが上下するのは主に投稿したコメントが受けた評価(モデレーション)の結果による。
  • カルマはモデレーションする権利を与えるユーザー(モデレーター)を選ぶ際の参考値となる。

私はスラッシュドットのIDを取得して数年になる。対して熱心な参加者ではなく、コメントを書くのは月に数回というところだろうか。現在のカルマ表示は「たっぷり」である。気がついたらそうなっていたというのが実態であり、特にカルマを上げようと意識したことはない。それでもカルマは上限に達したわけだ。

理由は簡単である。投稿したコメントにプラスのモデレーションを受けることはしばしばあるが、マイナスを受けたことは3回程度しかない。全体を見てもプラスが圧倒的にマイナスより多い。スラッシュドットは比較的「荒れない」掲示板なのだ。またモデレーションを行う際はできるだけプラスの評価を優先し、マイナスはやむを得ぬ時に行うよう奨励されてもいる。

ということは、カルマが「たっぷり」になっているユーザーはおそらく非常に多く、「サイテー」になっているユーザーはほとんどいないだろうと想像できる。実際にカルマ値がマイナスの下限に達したユーザーのコメントはスコアが初期値より下がるので第三者にもそれと知れるのだが、そのような状態になっているユーザーは2、3人しか見かけたことがない。

またカルマが「たっぷり」になったからといって、特にメリットは無い。モデレーターになるチャンスが増えるといっても大した動機にはならず、そもそも「たっぷり」にするのに特に苦労が無く、おそらく同じ状況のユーザーが山といるのだ。結果的にユーザーにとってカルマは「そういえば、そんなものあったっけ」という程度の認識でしかないだろう。ユーザーの評価値ではあるが、目だって機能しているとは正直言えないものである。

というわけで、「Grip 報道メディア設立企画書」を読んで「ユーザーカルマ」が大きくフィーチャーされているのを見たとき、私は変な感心をした。へー、あれを拡張しますか。うまく機能するのかな?というような。


ひとつ指摘しておきたいのは、少なくともスラッシュドットにおいて、カルマは獲得することが「良いこと」であり、失うことが「悪いこと」であるということだ。これはオウム的な価値観とは真逆であろう。彼らの目標は「カルマを落とす」ことであるようだからだ。カルマが時として「業」と表されることも考えると、オウムに限らず仏教的な価値観から考えても、スラッシュドットは逆の発想をしていると言える。その辺りはスラッシュドットの日本版を始めた人たちも感じたようで、先のFAQには

(注意:"カルマ"よりも"徳"のほうが日本語としては正しい気もしますが、本家でカルマを使っているのですからカルマなのです ;) )

との注意書きさえある。


長くなったので、「Grip 報道メディア設立企画書」における「ユーザーカルマ」とは何かということについては、また改めて書こう。