「Grip」についての総括(3)

さて、GripをDigg/newsingのような「ニュースサイト」とJANJAN/MyNewsJapanのような「報道機関」の合体と見るとき、どのような懸念が指摘されるだろうか。


まず、その評価システムそのものの是非が挙げられるだろう。

記事を書いて、それを読者からの評価に晒すことはよいことだとは思う。ただ、それによって記者の「ユーザーカルマ」が上下する。企画書には明記されていないがユーザーカルマの上下が例えば記者の報酬に影響するような形で、単なる結果ではなく、目的に変わったらどうなるだろうか。結果的に読者の顔色ばかりうかがう記者が出来はしないかという懸念である。

読者との双方向性といえば聞こえはよいが、全体的に悪い意味での大衆迎合的な報道メディアになってしまうのも困ったものであろう。もちろん、読者に対して聞き耳を持たないというのも困ったものであるので、この辺りはバランスの問題とは言える。どのように考えていたのだろうか。


次に評価システムの信頼性である。

ユーザーカルマや記事・コメントに対するポイントに与えられた意味が大きい以上、これらに対する信頼性は欠くことができない。この部分でなんらかの操作があると疑われれば致命的である。

一つには、算出ルールにある程度の透明性があれば、比較的簡単な話にはなり得る。極端な場合はソースコードの公開である。だが、あれほどサイト全体のビジネスモデルに絡んだ部分を公開するということは難しかったのではないかと思う。またソースコードを公開したからといって、実際に稼動しているものがそれそのものということを証明することは難しい。この辺りはつまるところ、運営者に対する信頼性で担保するしかない。

もう一つはDiggの創設者が語るようにユーザー数の規模が鍵になるだろう。Digg/Slashdotのユーザー数が数十万から百万の規模であるのに対して、日本版スラッシュドットのそれは3万強でしかない。アクセス数で見る限り、JANJANやMyNewsJapanはそのスラッシュドットにさえ1割程度の規模である。しかしnewsingは公開数日でスラッシュドット迫る勢いを見せている。広報やそもそもの資本規模などの問題もからむので、これを安易に予測することはできないだろう。


最後に挙げられるのは報道機関としての「顔」である。

Digg/Slashdot/newsingのようなニュースサイトのように、他者の記事のいわば流用でコンテンツを形成するのであれば、そもそも報道機関という側面自体が薄くなる。残るのは掲示板の運営者というレベルでのリスクであり、これは基本的にはプロバイダー責任制限法の範囲内ということになる。

だが独自記事を掲載するとき、その記事によって発生するリスクを誰が負うのかという問題が生じる。責任を運営者が負うのであれば編集権を握らざるを得ないが、それはGripの仕組みには沿わない。編集権を握らず、しかし責任は負うというのであれば、少なくともビジネスとしてリスクが高すぎる。運営者が負うのはプロバイダー責任制限法の範囲内であり、基本的には記者が責任を負うというのであれば、もはや報道機関を名乗る資格は無くなる。どこに線を引こうとしていたのだろう。


Gripは野心的なアイディアだったと思う。誰がやっても非常に難しい挑戦だっただろうと。実現しなかった企画である以上、ここまで私が述べたのはせいぜい思考実験に過ぎない。だから外形的な面を中心とし、実行する人間次第な部分をできるだけ排除してきた。だが、メディアとして、報道機関として必要なのは信頼性であり、それは結局、運営者にかかるものだということを最後に指摘せざるを得ないだろう。

というわけで、オーマイニュース日本版の中の人達は頑張って下さい。