惑星の新定義

なんだかすっかり「さよなら冥王星」みたいなアングルになってしまっている。核パルスエンジンつけられて軌道から外されてアルファ・ケンタウリにでも送られたみたいだ。ひどいとこになると「冥王星消滅」とか。あのね。

今回の惑星の新定義の素案で「古典的惑星」というカテゴリができ、これに冥王星が含まれていなかった時点で、私は既に勝負あったと思っていた。これは先日のエントリのタイトルの通り。試案では「体よく」ではあったが、最終的な結論では「体よく」でさえ無くなったということである。


では、惑星の定義は最終的にどうなったのか、改めて確認しておこう。まず、試案では「惑星」の定義は以下の通りだった。

(1) A planet is a celestial body that
 (a) has sufficient mass for its self-gravity to overcome rigid body forces so that it assumes a hydrostatic equilibrium (nearly round) shape, and
 (b) is in orbit around a star, and is neither a star nor a satellite of a planet.

【訳】
(1) 惑星は以下のような天体とする。
 (a) その剛性を圧倒する重力によって、流体静力学的な平衡状態にある(ほぼ球体の)形状になるほどの質量を持つ事。
 (b) 恒星を周回する軌道上にあり、恒星でも惑星の衛星でもないこと。

(a)は簡単に言うと、自重のせいで球体に近い形状になっていないと駄目ということだ。エロスのように出来のわるいジャガイモというか、大きな石ころに見える物はこれで排除できる。ここで「流体静力学的」なんて言葉が出てくるのが楽しい。
(b)は小学生的な惑星の定義とでも言えばよいか。太陽の周りを回っているのを惑星といいます。でも月は別ですよ。みたいな。注目すべきは「a star」と言っていることで、この定義が我が太陽系だけでなく、他の恒星系にも適用されることを示している。

この試案では冥王星もセレスもその他大勢も排除できない。そこで「古典的惑星」というカテゴリを作ったわけだが、その基準は単に「歴史的な理由により」というもので、必ずしも科学的な根拠のある定義とは言えなかった。方便であり、便宜的なものだった。


では、IAUの最終的な結論ではどこが変わったのか。採択された「案5A」の原文は以下の通りである。

(1) A planet is a celestial body that
 (a) is in orbit around the Sun,
 (b) has sufficient mass for its self-gravity to overcome rigid body forces so that it assumes a hydrostatic equilibrium (nearly round) shape, and
 (c) has cleared the neighbourhood around its orbit.

試案の(b)と結論の(a)は全く同じである。やはり丸くなければ駄目。
試案の(a)と結論の(b)は小学生的には同じである。だが、「a star」から「the Sun」になったことで、基本的に我が太陽系専用の定義となった。他の恒星系の場合、連星だったり褐色矮星がいたりで複雑になっているので、慎重になったのだろう。
そして、最大の違いは条件(c)が追加されたことである。

 (c) その軌道上の近傍をクリアにしていること。

要するに太陽に対する軌道上で主役でなければならないということである。これならめでたくセレスも冥王星も排除できる。意地悪な頭のいい人がいるものだと感心した。

ではどのくらいなら「近傍をクリアにしている」かという基準だが、とりあえずこの定義中にはない。

ここからは私の勝手な考えだが、まず、ほぼ同じ軌道を持つ総質量のうち、少なくとも過半数を占めることは必要だと思う。冥王星は全然足りない。セレスはメインベルトの総質量のうち3分の1程度の質量だから、やっぱり駄目というわけである。地球はもちろんセーフ。

近傍の定義としてどのくらいの範囲をとるかという問題も残っている。水星と金星が近傍ではなくて、冥王星はえらく広い範囲を近傍にしなくちゃいけないのは不公平だという意見は出るかもしれない。だが、これは単純な距離の絶対値よりも、軌道周期の比や太陽からの距離の比で考えればよいのであろう。


かくして、「歴史的な理由」などという非科学的な根拠を使わずに冥王星とセレスを排除し、惑星の定義を確立することに成功したというわけ。まさに「歴史的な理由」により、アメリカには納得がいかない人たちも多いとは思うが、ここは堪忍していただきたいと思う。

火星の運河といい、冥王星といい、パーシバル・ローウェルは罪作りな人だなあとふと思う。とはいえ、finalvent氏のようにトンデモと言ってしまうのも気の毒な気はする。火星の運河はたしかにトンデモではあったが、当時の知識で冥王星の存在を予言したこと自体はトンデモというわけではなかった。たまたま想定した場所の近くに冥王星があったということは、むしろ不幸な偶然と考えるべきだろう。

しかし、アメリカのトンデモの歴史というのは、たしかに興味深いテーマではある。ローウェルがそこで一節を占めるのは……やっぱり仕方ないか。南無南無。