イメージ
心象と書く。見知らぬ概念の山に必死で翻訳語を量産した明治期の先人が創ったのか。心象。こころのかたち。
私にはイメージがある。それはある種の粘土のようなものだ。
あるものの表面は乾きひび割れている。あるものの表面は湿り気を帯びてぬめっている。あるものの外側は岩のように固いが、中は自然と形を保っていられないほどどろどろである。あるものの表面は綿のように軟らかく、しかし、中に進むほどに固い。
弾力のあるものもあり、衝撃を与えれば割れてしまうほど脆いものもある。力を与えればへこみ、二度と戻らないものも。あるいは見る間に膨れ上がり、突けば音を立ててはじける。
その形は。一つとして同じ物はない。真球に近いものもあるのかもしれない。私は見たことが無い。多かれ少なかれ、それぞれに歪んでいる。ある向きに張り出し、ある面は平坦に。鋭い切っ先があり、深い谷間がのぞく。
その二つが寄り添う。一方の尖りが一方に突き刺さる。一方の欠落を一方が埋める。圧しつける力に応じてそれぞれがぞれぞれに沿うように形を変える。痛み、呻き。手探りで。歓喜を漏らし。やみくもに。潮のように密かに。
だが、隙間なくなることは稀だ。
そして二つを離しても二度と元の形に戻ることは無い。押し型のようにお互いに像を残す。風と雨と砂が朧げにすることはあっても、いつまでも見分けがつく程に。
私にはイメージがある。誰もが同じものを持ち、けれど、どれ一つ同じ物は無い。