そこに本があるから


とりあえず英語だけでよいから、スラスラ読めるようになると楽しいだろうなと思う。気楽に手に取れる本が増えるというのは、それだけで幸せなものだ。



翻訳物を読んでいて困るのはタイムラグである。原書は一年に一冊のペースで刊行されているのに、翻訳は二年に一冊だったりする。不安になってamazonで検索すると未訳が五冊あったりするわけだ。どう考えても追いつけない。十年も前に続編が出ているというのに一向に訳書の出る気配が無いなんてことも多い。


えーい、こうなりゃ読んでやるわいと原書を注文する。amazonのおかげで昔に比べれば洋書は半額くらいになっている。紀伊国屋で取り寄せて一月待ち、1ドル=250円換算などという時代があったのだ。通貨レートは今と変わらないというのに。


対ペーパーバック決戦兵器として、ブックカバーにリーダースの入った電子辞書がベルクロで貼り付けてある。これなら、つり革につかまりながらでも辞書をひきつつ読める。そんなことしている人を他に見たこと無いが気にしない。というか、洋書は読みたいが英語が分からなくてという人には、マジチョーおすすめ。


たとえ中学生単語であっても分からないとなれば、がんがん辞書に頼る。一度数えてみたら、1ページ読む間に30回も辞書を引いていることが判明して、さすがに泣けた。


当然、読み進むスピードはのろい。どうも今回は展開が遅いなとイライラしながら読んでいて、アクションシーンに至って気がついた。登場人物が格闘しているのにスローモーションを見ているようだ。なんだ、自分が読むのが遅いだけじゃないか。そういえばまだ50ページ行ってないのか。今週の通勤時間全部あてているのに。全部で300ページあるから、えーと、うー。


一度に注文した五冊を読み終わるのに二年かかったりする。そればかり読んでいるわけじゃないにしても、興が乗れば一晩で上下巻を読み通すような人間にとっては、馬鹿馬鹿しいといってもいい。いや、よくない。結局、まだ次の訳本でてないじゃないか。頼むよ。頑張れ翻訳の人。


だから、あーまたあれ読みたいなと思っても億劫になる。いっそ自分で訳してしまえば、と思ったりはするが、まあ思ったりするだけである。ディテールは泣くから筋が分かればよしとして、それでも苦労しているのにそんなことしたら何年かかるものやら。


でもこれが翻訳するということの第一歩なのかなと思う。自分の母語で読んでみたい。誰も訳してくれないなら、自分でやるしかないじゃないか。知性だとか、外語を学びたいとか、そういうんではない。ただ読みたいのだ。



寒い季節になると私の上着のポケットは時々ペーパーバックで膨らんでいる。