オウムのこと(3) 地下鉄サリン事件によって傷ついたもの


(前回までとは、テーマを少し変えます。)


東京の地下鉄サリン事件から12年が経った。あらかじめ述べておくが、私は被害に遭わなかった。死者が出た路線の一つは、当時私がまれに利用するものでもあったが、その日は縁が無かった。家族も親類も友人も知人も、被害に遭わなかった。被害者の数を考えれば、幸運だったのだと思う。


だから、私は地下鉄サリン事件の被害者では無い?イエス。刑事・民事に関わらず、法的な救済を求める立場という意味では、私は全く被害者ではない。


では、私は地下鉄サリン事件によって、なんらの被害もうけなかったのか?ノー。それは小声で薄く言うのだけれど、でもイエスかノーかというなら、ノーだ。直接・間接を問わず被害に遭われた人たちの多くは今でも苦しんでおられる。実際にそういう立場に置かれた人々と自分を比べるべくもない。そのことを忘れるわけにはいかない。けれど、それでもあの事件によって傷ついたものはあったのだ。



事件後、東京の駅構内からゴミ箱が撤去された。最近、ようやく多少は設置されるようにはなった。相変わらず数は少ない。駅員から見える範囲に置かれることが多く、長いホームに一組しかなかったりする。そして、それらはいちいち中身の見える大きな窓つきのものである。


事件後、うっとうしい車内のアナウンスにバリエーションが一つ増えた。足元や網棚に不審なものを発見した場合は車掌・駅員にお知らせ下さいというあれだ。


電車の床に無造作に放置されたコンビニの袋は、かつては不心得者が置き去りにしたただのゴミに過ぎなかった。だが、サリン事件以来、それは変わってしまった。もしかしたら足元のその袋の中にはとんでもない毒薬が入っているかもしれないのだ。もちろんその可能性がどれほど小さいかはわかっている。だがそれでも、と一瞬思う。その一瞬の懸念の不快さ。



この国のテロに対する脆弱性、セキュリティ意識の無さ、それを憂い、万一に備えることは必要だと思う。だが私は、そうしたことをこれっぽっちも心配する必要の無い、この国のそういう「ぬるい」ところが好きだった。平和ボケと言わば言え。私はその平和ボケが大好きだったのだ。水道水の美味い不味いが議論できるのと同じように、私はそれを誇りに思っていた。それはこの国の馬鹿馬鹿しいまでの豊かさを示す証の一つだったのだ。


その全てが失われたわけではない。だが、サリン事件によってそれははっきりと傷つけられ、そして多分二度と元には戻らない。車内アナウンスによって、今でも日々それを確認させられている。


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