あさっての方から来ました


ドアのベルが鳴った。


かましい電子音を待ち構えていたわりに、いざ鳴ったはずみで煙草を落とした。慌てて拾い、灰皿に力の限り押しつけて消す。カーペットに散った灰を蹴散らす。デリヘルに電話をしてからそれほど経ってないのに、今日は早い。 カレンダー付きの時計を見ると「6/24 Sat 14:32PM」。20分も待ってない。よしよし。


玄関に行って、ドアを開ける前に部屋を振り返った。掃除をした直後だと、部屋が広く感じる。風呂も洗ってある。よし。もう一度、ドアのベルが鳴る。


ドアを開けると、そこに立っていたのは黒い背広姿のおっさんだった。あれ、嬢じゃねえや。左手にアルミのスーツケースをぶら下げ、右手に携帯を握りしめている。チェンジもしてないのにもうヤクザが来たのかと一瞬びびったが、そういう迫力のこれっぽっちも無い奴だ。俺の顔を見て自信なさげに笑う顔がキモい。なんだこいつ。


「よかった。いらっしゃいました。」

「は?なに?」

「お約束でしたから。また参りました。」

「約束?」


まさか、デリヘルと間違えて普通のマッサージ屋に電話したのか、俺。って、駅前の電柱から剥がして来た小さなピンク色のビラを見て電話したんだぞ。だいたい「また」ってなんだ。またって。


「ああ、憶えていらっしゃらないのも無理はありませんが、お約束でしたので。」

「なに?何の用?」

「は。手前どもは画期的な新技術による様々な商品をご用意しておりまして、ここに」


喋りながら、奴はスーツケースを胸の前に抱え上げて携帯を持ったままの右手で開けようとした。ああ、セールスマンかよ。いらねえ。


「あ、訪問販売?悪いけど、用無いから。」

「本日改めてということでしたので伺わせていただいたのですから、」

「そんな約束したおぼえ無いよ。部屋間違えたんじゃないの?あんたに会うのも初めてだし。」

「いえ、憶えていらっしゃらないのはやむをえませんが、たしかに。」


部屋で酔っぱらってた時にでも来たのか?そんなことあったかな。


「悪いけど、人が来るんだよ。帰ってくれ。」

「そんなことおっしゃらずに。お時間はお取りしませんから。」

「そういう問題じゃないからさ。」


こんなことしてるところにデリヘル嬢が来たら、気まずいだろうが。


「ですが、前回お伺いした時は、本日また来るようにとのことでしたので。今日こそはぜひ。」

「だから、そんなこと言った覚えないって言ってるだろ。」

「それはいたしかたのないことですが、確かにお客様が、」


こんな奴と話していても埒が開かない。打ち切ってドアを閉めようとすると、奴は携帯をつかんだままの手でそれを止めようとした。こっちはそれで、切れた。


「ごじゃごじゃ訳のわからねえこと言いやがって、知らねえって言ってるだろ。おととい来やがれ。」


その剣幕に奴の手はドアから離れた。両肩ががっくりと下がって、黒くて先の丸い矢印みたいだ。ため息をつき、上目遣いで俺を見た。


「これで五度目なのですが。いえ、お客様のご指定ですから、こちらはもうそれはそれで。」


奴は携帯を持ち上げて、何やら操作を始めた。いきなりここでメールでも打つのかと、俺は呆気に取られていた。それにしても今時にしては大きな端末だ。見たことの無い形だし。


すると、携帯から光だか煙だかわからない白い何かが広がって奴の身体を繭のように包んだ。その繭の中から奴は薄ぼけながら、携帯から俺の顔に目を移した。三日ぶりに帰って来た犬のように疲れた顔だった。


「では、またお伺いいたします。」


そう言って頭を下げると、繭もセールスマンも俺の前から消えていた。


俺は少しの間、誰もいなくなったドアの外を見ていた。鉄製の外階段を底の固いヒールが上がってくる音が聞こえ




その日いつもより早く仕事を終えた俺は、家についてシャワーを浴び、夕食の前のビールを開けた。カレンダー付きの時計を見ると「6/22 Thu 18:47PM」。今夜はのんびりできそうだと思ったその時だった。



ドアのベルが鳴った。





という小品をこしらえてみたが、どうも居心地が悪い。なんとなく、これって星新一先生が既にやっちゃってるネタじゃないかという気がするのだ。そういえば、「ノックの音が」という連作もあった。


なんといっても星先生が生涯にものされた作品は1001篇である。それは歳若い想像力にとっては豊穣な果実を約束する種のつまった袋のようなものだが、ある人たちにとっては地雷原となる。一つアイディアをひねり出す度ににうんうんと唸らなければならないような重度の便秘症にとっては。


とはいえ、なんといっても1001篇である。私はそれほど熱心な読者ではなかったので、小学校の図書館にあった文庫を読んだ記憶があるくらいだが、おそらく全体の一割??それでも100篇だが??も読んでいないに違いない。昔の話なので具体的な筋を憶えているわけでもない。


そもそも1001個もの地雷が正確にどこに埋まっているかなど、知りようすもないではないか。こちらは真面目に畑を耕そうとして、昔に埋められた一発を鍬で引っ叩いただけだという言い訳…。


それにしても星先生はすごい。とても人間業とは思えない。才能の差というにもほどがある。どうしたら1001篇ものショートショートを書くためのアイディアがたった一人の頭から出てくるものか。


待てよ。もし、星先生ご自身がタイムトラベラーだったら。ご自身の時代から未来へ跳び、片っ端から…



あれ、おかしいな。こんな時間になんだろう。



ドアのベルが鳴った。


.