誰もいない南大門


その日、私は高知を夕方に立って、夜遅くに徳島についた。深夜のフェリーに乗って大阪に渡るためだった。


前日に乗った、小倉から松山へのフェリーに乗った時は、お遍路さん姿の団体が多数乗っていることに驚いた。甲板でぼっとしているうちに雑魚寝の船室は白装束で埋め尽くされてしまって、ついに自分の寝場所に戻ることができなくなってしまったほどだった。


徳島からのフェリーにはもっと謎な乗客がいた。船内のロピーのような人目につくところで、十人弱の男たちが車座になっていた。そのうちの一人が千円札だけでできた札束をトランプのカードのように車座に配っているのだった。今考えてもあれがなんの団体だったのか分からない。大阪に遊びに行くらしい若い女の子たちが、その前を特に関心も持たずに通り過ぎていく。


南港に着いたのは深夜の三時くらいだったろうか。港から難波に出て、始発の地下鉄に乗り、近鉄を乗り継いで奈良に入った。法隆寺駅に着いたがバスもタクシーも無かった。まだ朝7時になるかならないかだったのだ。私は歩いた。


法隆寺の南大門に着いたが、そもそも門も開いていなかった。参道の土産物屋の前を掃除する老婆と、何かの鳥の鳴き声くらいしかそこにはなかった。私はインスタントカメラ無人の南大門の写真を撮った。フィルムを巻き上げるプラスチックの音が実に不似合いに辺りに響いた。人影の一つも無いそんな写真を撮れるチャンスは絵はがきの撮影くらいでしか無いのだと思うと可笑しかった。


開門までにはまだ時間があった。法隆寺の外塀に沿って少し歩くと、団体客用の喫煙所があった。木製のベンチと灰皿を置いたテーブルが並び、頭上には日除けの藤棚でも作るためか大きな格子があったが、肝心の藤はなかった。私はベンチに横たわって、煙草をくわえて高い秋の空を見上げた。丸二日、ろくに眠っていなかった私はすこしうとうとしたのだろう。箒の音に目を開けると寺の人が胡散臭そうに私を見る目と目が合った。


開門の時間だった。門の前に戻ると、残念なことに私は一番乗りでは無かった。境内に入り、五重塔を横目に通り過ぎて、そのまま中宮寺へ向かった。


私が中宮寺の半跏思惟像を好むのは、その仏像の「肌がきれい」なためなのかもしれない。古い物であるということを全く感じない。滑らかに黒く艶めいている。参観は靴を脱いで畳敷きのお堂に上がる。私は初め正座し、やがて胡座をかいて、ついには居眠りした。そして、菩薩に頭を下げて、そこから辞した。



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