労働問題としての記者クラブ


記者クラブというのは軒下の燕の巣みたいなもんだと考えるといいかもしれない。巣には雛がみっしりと入っていて、親鳥が餌を持って来るのを口を開けて待っている。もちろん巣の中に雀の雛を入れたりはしない。郭公?よしてくれ。考えたくもない。親鳥は一日に一度やってきて雛達の口に餌を流し込む。平等に。


官庁における定例会見の廃止というのは、この親鳥が来なくなるということである。そりゃ雛の生活は厳しくなる。自分で餌を探しにいかなければならなくなるのだ。雛同士のなかで餌の採り方の上手下手は今までに比べてよほどはっきりと現れるようになる。飢え死にする雛も当然出るだろう。



比喩は得意でないので現実的な話に戻すが、要するに官庁の定例会見の廃止というのは、記者クラブの形骸化をうながすかもしれないということだ。定例会見が無いのなら、そこに人を常時はりつけておく必要はなくなる。新聞もマスコミも恒常的な赤字体質になりつつあり、経営的に見れば人は減らしたいだろう。今までは特オチ怖さに横並びで各省庁に記者を置かざるをえなかった。それが強制的に変わるかもしれない。


当然次に起こるのは人減らしであり、記者間の競争、労働強化である。記者クラブというのは一面で安定雇用の確保という機能も持っていたわけで、新聞労連がいちはやく反応したのもむべなるかなと思う。

だがここは勝負どころであって、毎日・産経のように朝日・読売に比べて経営体力の弱い会社はとっととこのチキンレースから降りるべきだとも思える。記者クラブなんかにはりつけているリソースを引き上げ、全社遊軍化するなり、デスク・校閲機能を強化するなり、まっとうな調査報道に力を入れるなりといったことをする潮時と考えるのだ。それをしないで横並びの記事を書くためにリソースを消費し続けていたら、ただの体力勝負になって未来は無い。



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