残念なネットメディア

たとえばはてなの「新着エントリー」を見ていて、どれかの記事をクリックして、思わず後悔の悲鳴をあげてしまうことがある。ギガジンとかデジマガドットネットだとかロケットニュースだとかアンドソーオン。こういう時はギガジンとかギガジンとかギガジンとかと3回繰り返すのが様式美なのだが、がっちり具体例がたくさん思い浮かぶので困る。


そうはいっても非モテタイムズくらいになると、思わずクリックしてしまうことさえないので鉄板であり、むしろ安心といっていい。


そこでふと思う。では彼らはオーマイニュースとどこが違うのか。残念という意味で、どこが違うのか。オーマイニュースの時はそれなりに真剣に考察したのに、非モテタイムズだともうまったくそんな手間をかけるに値するかどうか考慮さえしないのは何故か。


ぶっちゃけ、もう飽きたというのはある。それは否定しない。しかし、それを越えてなお、そこには違いが有るような気がする。


考えてみれば、なんだかんだいって非モテなんちゃらのほうがマシだと考えることもできる。他人が積んだ資本を食いつぶす簡単なお仕事と、いつかどこかの他人が積んでくれるかもしれない資本を期待して日銭を稼ぐお仕事と、どちらが難しいだろうか。


掲げた理想の高さの違いだろうか。J-CASTにどんな理想があるだろうか。そのほんの少しでも彼らはそれを高言しただろうか。オーマイニュースが「市民みんなが記者」と言ったとき「アホか」と反撥を覚えなかっただろうか。今になって正直に言うが、私は「アホか」とはっきり思った。


それでもなお、オーマイニュースやジャンジャンについては自分なりにまじめに考える気になったのは何故か。あるいは、ひるがえってなぜギズモードの糞翻訳について真面目に論評する気になれないのだろうか。


なぜ私はいつまでもはてなブックマークを使っているのだろうか。


謎は尽きない。


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