「カルマ」再考

昨夜のスレに興味深い論考が上がっていたので、ご報告・ご紹介する。該当するレスは>>608-610である。論考の主はもはやおなじみとなったxjppQAJA氏である。私は挨拶しただけで寝てしまい、またもや参加できなかったのが残念だった。

当然、氏のIDはまた変わっているわけだが、簡単のためxjppQAJA氏で通す。また、ここでは氏の論考を元に書くわけだが、ここの文章の文責は当然私にある。xjppQAJA氏のレスから割愛する部分があるので、できれば原文を参照されたい。


まず、Pliggについての基本情報源を示されたうえで、このように解説されている。

インタビューの内容はほぼ日本のMeneame、Pliggサイトの説明と同様。投稿記事にメンバーと非メンバーの匿名者が投票でき、そのポイント(カルマ)が蓄積される。Diggと違うのは、いい評価、悪い評価を並列させて示すのではなく、悪い記事にはマイナスの投票ができ、それによってカルマが減点されるシステムとなっている。(カルマは高ければ高いほどよいというシステム)

これは彼が「実力社会」を信じているからであり、かつスペインのネット社会が破壊傾向(習慣)が強いことにある。

基本的にカルマ・アルゴリズムに基づく実力社会であり、その特徴は、高いカルマをもつ人々が愚かな間違いを正すために他の者が出したニュースを編集することができるということである。(以上、西→英翻訳なので不正確な点あり)

このインタビューにあるように、彼自身、あるいはMeneame、Pligg自体に強い宗教性、あるいは宗教的傾向は、まずないと思われる。

ここまでは、私のエントリ内容ともさほど乖離がない。興味深いのはここからである。

が、システムの実力主義、カルマの蓄積、高いカルマを持つ人間が低い人間を正すというシステムは、新自由主義的、そしてオウムのシステムに非常によく似た傾向を持っている。

(オウムにおいては「カルマ落とし」など、主に悪いカルマが強調されているが、カルマというのは単にact、activityなので、よいカルマも悪いカルマも同じく蓄積されていくので、悪いカルマは減るのが望ましいが、よいカルマはこのソフトにおいてと同様、増えるのが望ましい)

要するに私は「カルマ落とし」をもって、PliggひいてはGripとオウムのカルマの方向性が逆ではないかという結論に至ったわけだが、オウムの「カルマ」は元々正負共にある概念であるので、これは間違いという(直接ではないが)指摘である。

実は私も同じ日に滝本弁護士のブログのコメントを見て、あれと思っていたところだった。該当部分のみ抜き出し、一部を太字にする。

数年前、現役サマナを教団から離すのに成功したことがあります。

教義を利用して、話をすすめたのですが、上手くいきましたね。

内容は、このような話です。「いいかね。君達は出家の偉大なカルマと思っているかもしれないが実は君達にあるのは奴隷の身分に身を落とすカルマだ。

これはどう見ても「カルマ」に正負の両側面があるということを示すものである。

となれば、先のエントリでの私の「結論的な心象」の部分は無効ということになるだろう。(その旨追記した。)
そもそも自分のオウムの「カルマ」に対する理解が浅いことは自覚しており、それについても調べなければと思っているうちに日がたってしまい、このような次第になった。お詫びして、xjppQAJA氏には改めて感謝する。


念のため。xjppQAJA氏はこう述べて安易な「誤解」を諌めており、これについては私も全く同感である。

もちろんこれは泉氏の報道機関が宗教性がある、オウムと関係があるということを断言するものではない。