「Grip」についての総括(1)

もう随分前のことだが、「Grip」の企画書を云々した際に私はそれに好感を持ったと書き、それについては改めて書くと書いた。というわけで、これがそれになる…はずである。


まず既存の大手の新聞社のページを並べる。

とりあえず「一面」を並べてみたが、ポイントはむしろ各記事のページである。基本的にコメントもトラックバックも評価も無い。読者からのフィードバックというものをほとんど必要としていない。

次に配信型のページを並べる。配信型というのは、他社から配信された記事が主体のニュースサイトという意味だ。

まず新聞社の「一面」と配信型の「一面」がよく似ていることが分かる。コメント欄はやはり無い。ライブドアとエキサイトにはトラックバックはある。ただ、ライブドアトラックバックはページの一番下にリンクがあって、その先のページまで行かないと中身が見えなくなっていて、気づかない人も多いのではないかと思う。エキサイトは他に記事の評価ができるようだが、「投票する」とだけ書いたボタンがあるだけで、なんの投票かと思うだろう。プラス評価に1票という意味のようだ。

続いて、市民参加型のページを並べる。基本的に配信を受けず、自前の記事が主なものとする。

「一面」の印象は前に挙げたものと随分違う。コメント欄があり、やはりプラス評価の投票ボタンがある。そのかわりトラックバックはできないようだ。

最後に掲示板型のページを並べる。記事よりも読者の投稿が主体となるものである。

三つとも記事の元ネタは既存の報道機関からのものがほとんどと言っていい。「ニュースサイト」ではあるが「報道機関」という意識はあまり無いのではないか。そういう意味では配信型もそうだろう。


こうして見ると「WordPress」はいわゆる市民参加型の形となる予定だったのかと思う。編集者と登録された「市民記者」がいて、その記事が主体となる形である。「Grip」は既に見たようにDigg型であり、Diggと同じに既存の報道機関の記事を引くものが多くはなるようだが、登録記者制度を持ち、その独自記事があることが報道機関を名乗るうえでのレーゾン・テートルだったのだろう。そういう意味では、市民参加型と掲示板型を足したものと言っていい。

いわゆる「市民参加型ジャーナリズム」の特徴は大きく言って二つ挙げられるのではないだろうか。一つはプロではない記者が書くこと。もう一つは読者の意見を反映し、あるいは批判を許容することである。そういう意味ではGripは両方を兼ね備え、特に読者の反応にある意味で全てを委ねる形になったかもしれず、私はそれを評価したのだった。


だが、やはり強い懸念も指摘され得るだろう。それについては稿を分ける。