16人いる

たまには政治向きのことも書いてみよう。



さて、自民党の総裁選挙であるが、自分はこの件では選挙権を持っていないので、ぶっちゃけ他人事である。詳しい分析や展望などは倫敦橋さんのところで行われているので、私は、おおとか、へーとか言うばかりである。巷では陰謀論とかもあって楽しそうだ。



それはともかく。


当初14〜19日という予定が伸びた割にはその日程の範囲内で十分収まる期間でとっくに結果が見えている選挙というのも、なかなか切ない。負けると分かっている方もアレだが、勝つと分かっている方はそりゃもっと気合いも入らないであろう。


少なくとも国会議員の派閥レベルで麻生候補者を明確に支持しているのは、その名の通り麻生派だけ。残りは態度不鮮明がどのくらいあるのか分からないが、基本福田候補支持だそうだというわけで、1割くらい?と思ってWikipediaに聞いてみる。


ちょ、麻生派は1割どころか5%にも満たないではないか。まあ元が河野派だもんな。新自由クラブの倍だと思えば多いのかも。いやしかし、16人ではそもそも立候補するための推薦者数にも足りなかったはず。




この状況をして「派閥政治の復活」という声もある。派閥の親分の鶴の一声で右にならえだとか、ろくに政策も見ないで、という意味では、まあたしかに。


でもね。昔の「派閥政治」ってのは、もうちょっとこう恰好がつく程度にはちゃんと割れたものである。7:3とか6:3:1とか5.25:4.75とか。あんまり恰好がつく程度に割れるもんだから「数合わせ」と呼ばれたのであって、こんな恰好のつかない割れ方を「数合わせ」とは呼べない。というか、これでは割れたんではなくて、ちょっと欠けたというレベルである。


で、昔の派閥政治であれば、そりゃポスト欲しさにあっちについたりこっちについたりするわけだが、それでも「あいつだけは担げない」というのもあって、しばらく冷や飯を食う覚悟で積極的に割れていたのである。それは何も恨みつらみというだけではなくて、あんまり見やすくは出ていなかったが、真っ当な政治的な路線対立というものがあったはずである。そもそもこの状況の後で、「応援したんだからポスト欲しいな」と言っても、おたがい説得力が無い。



なんでこんなことになったのか、と。



広報宣伝的に考えれば、ここはぱっくり半分ずつに割って、政策論でも陰謀論でもがんがんやって、お祭り騒ぎにしてしまって、胃が痛いとか腸の調子が悪いといったことは皆さんに忘れていただくというのが得策である。たとえ結果が出来レースだとしても。そういうお芝居を打つ余裕も無いとはどういうことか。



結局、前回の衆議院選が、自民党の中に『恐怖』を植え付けたのだろうな、と思う。


前回の衆議院選ではっきりしたのは、「党は勝っても、派閥はボロ負け」という状況が起こり得るという経験値であった。争点を設定し、そのためにはたとえ身内でも叩き落とすという覚悟を決めると、選挙には勝てるのである。党としては。その代わり「叩き落とされる」側は悲惨。党は勝つから自分のいた席は埋まるし、与党でも議員でもなくなればあっさり失業である。


叩き落とされないために一番なのは、無論、権力を握ることである。それはつまり自民党の総裁派閥になることだが、次善の策として、せめてその総裁派閥に睨まれないということが重要である。多少冷や飯を食わされ、最悪党を追い出されても余裕で自力で当選できるような人は、ある程度自由に動けるわけだが、もちろんそんな人は少ない。大多数は勝ちそうな方に大挙して流れるのだろう。



というわけで、「あーほんとに派閥というのは壊れてしまったんだなあ」という感慨を改めて持った。考えてみれば、派閥を「無くす」とは言っていなかったもんな。「壊す」とは聞いたような気がするが。うん。たしかに壊れてる。



ところで、全然関係ないけれど、安倍首相辞任会見の夜、日テレに出ていた片山虎之介氏の妙に屈託の無い表情が印象に残ったのは私だけだろうか。


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