「Grip」についての総括(2)

Slashdot/Digg/Pliggの全てにおいて、カルマというのはユーザーから下される評価にからんでいることは既に見た。Slashdotにおいては、ユーザーにモデレーションの機会を与えるための一つの指標だった。Diggにおいては荒らしDiggを防ぐための目安だった。Pliggにおいては一票の重みそのものだった。どれも結局、ユーザーからの評価の信頼性を上げるためのものである。
これらの評価は結果として単純な数値として示される。コメントやトラックバックなどの言葉による賛意・批判と違い、数値による評価というのは操作しやすい。だからこそ、信頼性を上げる努力をしなければならないと考えるのだろう。この信頼性はそのままサイトの信頼性につながるものだからだ。

もちろん信頼性を担保するのはカルマシステムだけではない。Slashdotにおいてはコメントへのモデレーションに対して、それが公平な評価であったかを再評価するメタモデレーションという仕組みがある。以前紹介したインタビューでは、Diggの創設者は端的にそれはユーザーの規模だとも答えている。

How do you make sure the stories are useful and interesting rather than just weird or sensational?

Adelson: The larger the critical mass of users and the collective wisdom applied to digg, the better and more relevant the stories get. The number of diggs needed to promote a story to the front page gets higher as the number of users increase, so you get a better editorial [product] than if you had a small group of users.

ただ奇妙だったり扇情的なものではなく、有用で興味深い記事を確保するためにどうしていますか?
Adelson: 臨界量を越えた規模のユーザーとその集合的知性がDiggしているから、より良くより信頼性のある記事が集まる。記事がフロントページに掲載されために必要なDiggの数は、ユーザーが増えるのに合わせて多くなるんだ。結果的に小さな規模のユーザーしかいない場合よりもよりよい編集を受けることになる。

Diggのユーザー数は現在25万人弱である。米国のSlashdotは100万人弱。重複登録や既に興味を失ったユーザーがいるだろうから単純に考えるわけにはいかないが、これだけの数のユーザーが行う評価を恣意的に操ることは確かに難しいと思える。


昨夜見たように既存の大手新聞社のサイトは、ほとんどユーザーからの反応を受け入れる余地を持たなかった。それは一面では、彼らが長年の活動によって充分な信頼性を担保しているという自負の現れではないかと思う。しかし、それが組織としての硬直性を示し、彼らに対する信頼性に疑義を感じる人がいるからこそ、「市民参加ジャーナリズム」といった新興のメディアが芽を出した。

新興のメディアがユーザーからの反応に敏感になり、それを受け入れる姿勢を示すことは、既存のメディアに対するアンチテーゼではあるだろう。だが意地の悪い見方をすれば、蓄積の無い彼らにはそうやって信頼性を勝ち得ることが必要なのだ。


さて、タイトルの割にGripが一向に出てこなかったが、この辺で力尽きた。またしても稿を分ける。